恥の多い生涯を送って来ました。
そう綴ったのは太宰治でしたっけ。
『存在の9割をさらけ出す人』
それが ある友人から見た私の印象です。
9割ってけっこうな割合ですね。
でも妙に納得。
私は、私が直面してきた『恥』ともいうべき困難な出来事のうちのほとんどを他人にさらけ出してきました。
それはね、愚痴でも不幸自慢でも何でもないんですよね。
苦しい記憶が生々しいうちはさすがに難しいのですが、その出来事が自分にとってどんな意味があるのかって答えがなかなか見つからないとき。
他人にただその出来事が起こった時の自分の気持ちや、背景を語ることで心に灯りがともる気がしていたんです。
次のステージに行くための扉を開く鍵が足元に落ちていることに気づくことがあるんです。
精神科で活用するプロセスレコードのようなものなのかな。
自分の心の動きがあって、相手の心の動きがあって、人間関係…すなわち人生は構成されていくんですね。
それに気づくための内省の時間なのかもしれません。
でもしっかりと相手は選びます。
私の心の問題を解決しようとしない人。
解決できると思っていない人。
そして間違っても、私に起こった出来事と、自分に起こった出来事の深刻さを競おうとしない人。
ただ聴くだけ。
そういうことができる人って、案外少ないんです。
私も、誰かにとっての『さらけ出せる人』になりたいなと思います。
だからこれからも私は私について語ります。
信頼のおける近しい人だったり、このブログだったり。
もしご不快な気持ちになった時は、ページを閉じてくださいね。
これは私のための言葉ですから。
あなたのための言葉ではありませんから。
そして何も求めない。
いつかあなたがしてくれたように、ただ聴いて受け止める人間になるためのプロセスだったのだと、今 気づいたので。