魔女の庭のマーレ

心を軽くするブログ

マニフェスト

こんばんは。

久しぶりにブログ更新したと思ったらyoutuberになってたんかい!

ツッコミが聞こえてきたけど空耳かな。

魔女の庭へようこそ、ヒーラーのMAREです。

 

 

だってねもうすぐ200年続いた地の時代が終わって風の時代来るんですよ。

物質主義の時代から心とかつながりとか目に見えないものの時代になるんです。

それは肌感覚としてひしひしと感じています。

2011年の3月から気付き始めた人も多いことと思います。

年末からはもうスピードが違うでしょう。

混迷中のアメリカ大統領選挙もその大きな流れの中にあって、どんなにメディアが偏っても不正は暴かれ正義が息を吹き返すのだろうと安心して見ています。

またそんな占い師みたいなこと言って・・・って呆れ顔のあなた。

そう占い師でもあり精神科ナースでもあり魔女なんです。

なんなら奥様にもなりたいわ。

 

 

まあそれはそれとして。

占いを生業にしようとは考えていません。

私も人間なので、怖いんです。

他人の悩みを飯の種にした瞬間に自分が目指すものから遠ざかってしまうんじゃないかと。

人の心を癒すことに特化した人間になるべく生きている。

やはり人生のテーマは変わりませんね。

癒しです。

人の心を癒すピースは色々あるけれど

美味しいもの・アート・植物・言葉

この4つが私のテーブルに乗ってる素材なんですね。

タロットカードの魔術師みたいですね。

 

 

私には夢がある。

いや違うな、私には明確なビジョンがある。

それをお話しするのはもう少し先になるかと思います。

ですがやはり心を癒す、それだけは揺るぎない私のポーラスターです。

 

 

 

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結婚しててもしてなくても

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こんばんは。

精神科病棟の穏やかな夜です。

ただいま休憩中にブログを書いています。

 

 

今日は結婚について考えてみました。

私、かつて結婚していたことがありまして。

5年程前に11年間にわたる結婚生活に終止符を打ちました。

3人の息子たちは父親のもとで育っています。

全員で遊びに行くこともありますし、元夫と二人だけでもお互い普通に会話できます。

こういうことを書くと、離婚する必要があったの? とか。

何で離婚したの? とか。

子どもが可哀想じゃない? とか。

結構いろいろ.…本当にいろいろ言われました。

今でも時々言われますが。

 

 

ひとことで言っちゃうと

あなたはあなたの考えがあっていいし、私には私の考え方があるですよね。

それがいいとか悪いとかではなくて。

 

 

お互い結婚に求めるものが致命的に食い違っていたんです。

それに気づいたので別れることにしたのです。

ただそれだけです。

 

 

私は自分の気持ちを偽ることができない人間だった。

自らの幸福感がとても低いのに子供を幸せにできるわけないと思った。

いや、違うな。

子供に必要なのは幸せにすることじゃなくて、幸せを感じる力を育てることなんじゃないのかな。

幸せを感じるために自分から動くこと、その姿勢をみせることが大事なんじゃないかな。

それって結婚しててもしてなくてもできることじゃない?

ただ一つ言いたいのは、何でもかんでも離婚すればいいと思ってるわけじゃなくて。

どこでどんな風に生きていても、自分の人生を充実させようとする意志があればいいんじゃないかなって思う。

 

 

だから罪悪感はもう持ちません。

開き直りでもない。

解放感。

生きている充実感。

母親がそれを感じていることと、子供たちに対する愛情が矛盾することなく並び立っているということが伝わればいいなと切実に思う。

そんな感じです。

 

遺言

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おはようございます。

近所の薬局の駐車場で軽トラのおじいちゃんに危うく轢かれそうになりました。

あっぶね。

うっかり死ぬところだったわ。

田舎では車を運転できないと不便で生活の質がガタ落ちとなります。

だからどう見ても推定年齢80代後半のプルプルドライバー率が高いのよね。

しかもですよ。

直進の時は牛かな?牛に乗っているのかな?って思うほどなのに割り込んでくるときの圧倒的スピード感。

緩急の付け方が刺激的すぎます。

 

 

すいません。

何の話でしたっけ?

そうそう、死ぬかと思ったって話でしたね。

で、私はその時何を考えてたかというと。

看護師だからなのかわからないけど自分が死ぬことはそんなに怖くないなって思ったんです。

痛いのは嫌だけど。

やり残したことに対する執着とかもない。

自分が死ぬよりも愛する人たちに先立たれることのほうがもっと恐ろしい。

死に慣れている私ですらそうなのだから慣れてない人のショックは半端ないですよね。

つまりは残された人の悲嘆にくれる姿を見たくないなと強烈に思ったのです。

 

 

だからね、私のお葬式では泣くの禁止ね。

泣き笑いはギリギリ許す。

破ったら絶交。

絶対に絶対の絶交。

弔辞では私とのいちばん笑ったエピソードか一発芸を盛り込むように。

すべったら絶交。

絶対に絶対の絶交。

音楽はJAZZを流してね。 

そして天気が許す限り私の庭でやってほしい。

 

 

最後に私の身体がすべて灰になったら。

ダイヤモンドにしてください。(あるんですダイヤモンド葬ってのが)

 

 

そして息子が海の見える場所で伴侶となる人に向かって言うのです。

息子:あ、このダイヤ俺の母ちゃん。

ヨメ:いやあぁぁーーーーーー!!!

海に投げ捨てられるダイヤモンド。

 

 

この一連の流れでお願いします。

完っ璧だわ。

 

 

 

 

小さくて限りなく広い

人生が人間に問いを発してきている。

したがって人間は、人生の意味を問い求める必要はないのである。

人間はむしろ、人生から問いかけられているものなのであって、人生に答えなければならない。

人生に責任をもって答えなくてはならない。

 

ヴィクトール・フランクル
『医師による魂の癒しーロゴセラピーと実存分析の位置づけー』より

 

 

 

人の心に興味を持ち始めて数十年が経とうとしている。

看護師として他人の人生を垣間見ながら、自分の人生に降りかかってきた出来事に粛々と向き合ってきました。

自分の困難な経験すら淡々とどこか他人事で眺めることもあったと思う。

心理学の本も色々読んではきたけれど、どれも小手先のテクニックしか書いていないか、あるいは非常に抽象的で現実味が感じられないかのどちらか。

だけどついに見つけた気がするんですよ。

 

 

 フランクル心理学

 

 

私が経験的に到達した結論と実践してきた方法に極めて近い内容が書かれている。

そしてその方法は人の心を救う力があるんだとあらためて実感した。

とはいえ他の心理学を否定するわけではなく、たまたま私という人間になじむ方法だったんだろうなと思う。

勝ち気で負けず嫌い、でもハートは意外と打たれ弱い、結構めんどくさい人間に。

本当に弱っている人には本当に優しく。

そこまで弱ってないのに弱っているフリしている人には少しだけ厳しく。

心身が健康な時にも自分を鼓舞してくれる。

どんなマインドも包み込むフランクル心理学。

興味がある人は一度読んでみてほしい。

まさに今苦しくてたまらない人ならぜひ読んでみたほうがいい。

 

 

でもね、1人の人間の存在は小さくともその精神は限りなく広く深い。

本を読んですべてを理解した気になるのが一番恐ろしい。

そこだけは気を付けないといけないね。

私にしかできないことは何か?

私を必要としている人は誰か?

人生はいつも私に問いを投げかけている。

 

 

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内省の時間です

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恥の多い生涯を送って来ました。

そう綴ったのは太宰治でしたっけ。

『存在の9割をさらけ出す人』

それが ある友人から見た私の印象です。

9割ってけっこうな割合ですね。

でも妙に納得。

 

 

私は、私が直面してきた『恥』ともいうべき困難な出来事のうちのほとんどを他人にさらけ出してきました。

それはね、愚痴でも不幸自慢でも何でもないんですよね。

苦しい記憶が生々しいうちはさすがに難しいのですが、その出来事が自分にとってどんな意味があるのかって答えがなかなか見つからないとき。

他人にただその出来事が起こった時の自分の気持ちや、背景を語ることで心に灯りがともる気がしていたんです。

次のステージに行くための扉を開く鍵が足元に落ちていることに気づくことがあるんです。

 

 

 

精神科で活用するプロセスレコードのようなものなのかな。

自分の心の動きがあって、相手の心の動きがあって、人間関係…すなわち人生は構成されていくんですね。

それに気づくための内省の時間なのかもしれません。

 

 

 

でもしっかりと相手は選びます。

私の心の問題を解決しようとしない人。

解決できると思っていない人。

そして間違っても、私に起こった出来事と、自分に起こった出来事の深刻さを競おうとしない人。

 

 

 

ただ聴くだけ。

そういうことができる人って、案外少ないんです。

私も、誰かにとっての『さらけ出せる人』になりたいなと思います。

 

 

 

だからこれからも私は私について語ります。

信頼のおける近しい人だったり、このブログだったり。

もしご不快な気持ちになった時は、ページを閉じてくださいね。

これは私のための言葉ですから。

あなたのための言葉ではありませんから。

そして何も求めない。

いつかあなたがしてくれたように、ただ聴いて受け止める人間になるためのプロセスだったのだと、今 気づいたので。

魔女の弱点

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長くお休みしていました。

ここ数か月『生まれてきてすいません』状態だったんですけど、手入れをずっと後回しにしていた玄関周りの植物たちを触っていたら、少しずつ元気が出てきました。

自分はいったいどこを目指しているんだろうという出口のない迷路に、自らのこのこ迷い込んで行っちゃったんですね。

迷ってはみたものの、答えは最初から手の中に握りしめていて。

結局私の人生のテーマは『癒し』『治癒』なんですよ。

その対象はだれでもというわけじゃなく、ほかならぬ自分自身だったりします。

 

 

 

私が最高に癒される場所で生きることが、他の誰かを癒すことになれば。

そんな我儘を叶えるために日々生きております。

私が最高に癒される場所とは、樹木やハーブや宿根草などの植物たちに囲まれて魔女のように静かに暮らすことができる庭なわけでして。

時々そこで美味しいものを食べたり、占いを楽しんでもらったり、ただ話をしに来てもらったりできたらいいなと思っています。

ふとしたときに思い出して、なんとなく行ってみようかなと思う場所。

そんな場所を作りたいのです。

 

 

ある意味仕方のないことではありますが、私の存在を苦々しく思う人がいたり、敵意を向けられられたりもします。

やはり心穏やかではいられない時もあります。

でも本心ではこういう人間がひとりくらいいたっていいじゃないって思ってるんですよね。

真面目でキッチリしたことは、そういうことが得意な人がやればいい。

ナースはそれなりに真面目にやってるのでご安心を。

 

 

ただ、こんな私でもやはり反省するところはあって。

人の気持ちに関してだけはいい加減に扱っちゃいけないなと思います。

私がそうなのですが、一人の世界に閉じこもりがちな人って自分の心は大切に扱うわりに他人の心に無頓着になりがちなんですよね。

自分の心を大事にするように人の心も大事にしないとただの残念な人だから。

でも弱点に気づけば改善のしようもあるわけで。

教訓を忘れては思い起こしの繰り返しになるとは思いますが、気づかせてくれる人たちが周りにいるという幸運に、今日もただ感謝なのです。

 

 

 

自戒を込めて。

では、また。

 

 

 

 

毒を吐く

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ずいぶんと前からデトックスなんてものが大流行ですね。

特に女子は『デトックス』と名の付くものに目がないようで。

 

 

だけども『きれいごと』が大好きなのも、女子の面白いところ。

人間関係を円滑に進めるためには、『きれいごと』はとても役に立つらしい。

でもねえ、無理なものは無理。

きれいごとってのが本当に苦手でね。

おまけに私は昔から人の好き嫌いがはっきりしていて、顔に出るは口にも出るわ…もうこれはタチだから、あきらめていただくより仕方ないと思っております。

京女と江戸女なら、こちとら間違いなく江戸の下町気質です。

てやんでい!

 

 

まあこんな性格なもんで、友人も結構きっぱりはっきりした人が多いんですよ。

突然に久しぶりに来たメールの一文目が

あいつ好かん!!!(怒)

だったりするわけですよ。

もう超気持ちいい~♡ ってなりますよね? え? ならない?

まあ確かにこれが

おまえ好かん!!!(怒)

だったりしたら間違いなく涙目ですけどね、ええ。

 

 

 

一番苦手なのはねちねちと根に持つことと、あとから文句をいうこと。

精神衛生上もよくないので、なるべくやめたほうがいいです。

一番おすすめのデトックスはね、笑いに変えて飛ばしてやること。

え~人の悪口を笑いながら言うなんて~とかいう優等生的な反応いらないから本当。

もちろん、意地悪く罵るんじゃなくてユーモアが大事。

ユーモアってね、自分への愛だと思うのです。

腹が立つこともむかつくことも笑い話に変えて、人を笑わせて自分も笑う方向にシフトする。

たったそれだけでずいぶんと心を健やかに保てます。

 

 

 

10年ぶりくらいに会った幼なじみが、自分の息子に私を紹介してくれた時の話しなんですけど、その時の言葉は今でも忘れられない。

 

この人ずっと昔から友達なんや。

なんでこんなに長い間友達でおれると思う?

それはな…オモロイからや(笑)

 

そっくりその言葉、お返しします。

ちなみに『あいつ好かん!!!』メールの送り主です。

こんなきっぱりはっきりさっぱりした人、嫌いになるわけがない。

 

 

ま、そんな感じなので、いつでも私の前で毒を吐いてくださってかまいません。

なんなら大好物。

一緒になって思う存分笑い飛ばしてやりましょう。

これから客商売をしようかって人間が、こんな感じで大丈夫かなって思うこともあるんですけど、まあどうにかなるでしょ。

敵もたまにいるけど、皆さまよくしてくださって…本当いつもありがとうございます。

たぶんね、なにしでかすかわかんないからドキドキさせてんじゃないだろうか。

ある意味、保護者の会というか。

 

 

いつか保護者の会の皆様が安心できる日が来ますように…合掌。

あ、あんまりドキドキするなら、病気だから病院行ってね♡

おやすみなさい!

 

 

 

拾わない人

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糸杉って私にとって、ちょっぴり『死』を連想させる植物なんです。

糸杉をモチーフにしたゴッホの絵がとても暗くて怖かったからでしょうか。

今では『死』のイメージは全く暗いものではないですが。

 

 

私は職場で『拾わない人』と呼ばれています。

何を拾わないって、そう、死を。

病棟で一番多く夜勤に入っていながら、どんなに重症の患者さんがいてもその最期の瞬間に遭遇しないんです。

それどころか、私の仕事中は状態が落ち着いていて安心していた矢先、お疲れ様でしたと職場を離れて数時間後には亡くなる…なんてパターンを何度も経験しました。

それを幸運と取るかどうかは人それぞれですけど、私はどちらかというと複雑な気分でいます。

『拾わない人』ではなく『選ばれない人』なんじゃないかなって。

 

 

看護学生になって、一番初めの受け持ち患者さんは前立腺がんによる骨転移のある人でした。

とても穏やかな方で、一緒に日向ぼっこをしに行くのが日課で。

骨転移のために腰痛があるので、温めていたんですね。

病状が進むにつれて、どんどん腰痛がひどくなっていくのだけど、家族の希望によって自分の病気がガンであることも、それがさらに骨に転移していることも知らされていませんでした。

今でこそ告知が当たり前ですけど、当時はそういう時代。

 

 

おそらく、うすうす何かを感じていたんでしょう。

聞かれるんです毎日。

自分の病名は何なのかと。

医師や看護師にはもちろんのこと、ただの学生だった私にも詰め寄ることがありました。

だけど絶対に口外してはいけないんです。

本人も苦しかったでしょうが、私たちも苦しかった。

そうすると、どうなると思いますか?

 

 

孤独になるんです。

医療者も人間なので、苦しい思いはなるべく避けたい。

だからつい、その部屋から足が遠のく。

患者はひとり真実を知らされない。

誰がそばにいても疎外感はつのっていっただろうと、今なら容易に想像がつきます。

結局、何の力にもなれないまま、自分の目の前の苦しさから逃げただけの初めての実習が終わりました。

 

 

この経験は、今でもずっと心にしこりとして残っていて。

看護師を目指す身でありながら、死への恐れという感情から逃げた自分に対する信用のなさ…というか何というか。

とにかく、人生の最期に立ち会う人間として『選ばれない根拠』のようなものになっているんですね。

私がいないところで患者さんがなくなる度に、やっぱり…と。

ことあるごとに、私は看護師に向いていないと思うのも、この経験によるところが大きいと思っています。

ああ、一刻もはやく看護師から足を洗わなくては!

 

 

ちなみに、珍しくご指名いただいたときには、生前からの感謝の気持ちをこめてお見送りいたしておりますので、どうぞご安心くださいますようお願いいたします。(ぺこり)

 

 

 

 

治癒

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夏も終わりですね。

そろそろガウラも切り戻しの時期かな…。

 

 

ある人と会いました。

まあ、同級生の一人ですが。

 

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「この言葉の羅列の中から、ピン! と来たものを選んでー」

その言葉をテーマとして語り合うという。

自分としては

「ほーん。。。。。」

って感じで、さすが毎日いろんなことをたくさん考えておる人は言うことが違うね…と何だかアホみたいな顔してボーっとその言葉の羅列を眺めていたんです。

そこにバーンと飛び込んできたのがこの言葉。

 

 

治癒

 

 

本当に浮かび上がるように見えました。

言葉のイメージってすごいです。

映像が再現される感じっていうかね。

 

 

治癒。

目に見える治癒と、目には見えない治癒。

目に見えない治癒はとても時間がかかる。

治癒とは、何もかもが元どおりに戻ることじゃない。

たった一度ぐしゃりと握りつぶした紙は、どれほど細心の注意を払って伸ばしても伸ばしても、薄く細かな痕が残る。

何もなかったことにするには、時間をさかのぼるほかない。

だけどそんなことは誰にもできないのだし、あきらめて治癒に向かう苦しい道のりを進んでいくしかないのだけれど。

 

 

認めること

受け入れること

静かな気持ちでいられること

それが目に見えない治癒なのではないかと私は思う。

そしてその長い過程において、痛いときには痛いと言い、助けが要る時には求めることが必要になる。

時間の経過という、最大の治療をもってしても、自分一人だけの力で目に見えない治癒にたどり着くのはとても難しいことなのだから。

そしてできることならば、私もその助けとなる存在のひとつでありたい。

 

 

友人によると、そんな感情のような、実体験のような、空想のような声が、自然と掻き立てられる言葉が、その人にとっての人生の命題となっているのだとか。

あの言葉たちは、ほんの一部だけれど、何かピン! とくるものがあったら、その言葉について思考や感情の流れを向けてみるのも面白いかもしれません。

ちなみに友人が掻き立てられる言葉もいくつか聞いてみたんですけど。

当然のことながら、私にとっては、それはただの言葉でしかなかったです。

 

 

さてここで問題です。

このブログ記事(タイトルも含む)の中に、『治癒』という言葉が何回出てくるでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数えてくれたあなた、ありがとう。

私のこと好きでしょう?

私もあなたが好きですよ。

 

 

 

 

夜にお会いしましょう

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あああ、やっと涼しくなってきましたね。

朝夕の空気がひんやりとしていて、生きた心地というのはこういうことかと感じます。

コレ、大げさな表現でもなんでもなく、私が毎年この時期に感じること。

もう何年前からかも忘れてしまいましたが、ずうっと昔から夏になると気分がとめどなく落ち込みます。

明らかな原因がないにもかかわらず、です。

日常生活やお仕事に支障をきたすほどではありませんが、常に無気力で気分が塞いでいるというのは結構しんどいもの。

 

 

最近になってやっと『夏季うつ』というものが知られるようになってきたみたいですね。

一般的に、季節性感情障害(季節性うつ)は冬季に発症することが大半なんですけど、まれに夏に発症することもあるようです。

まあ症状が季節限定で、自然寛解の経過をたどることがほとんどなので、あまり心配はいらないと思いますが、毎年同じ時期に気分の落ち込みがある方は、症状を軽くするような生活を送ることをオススメします。

超ざっくりいうと、冬季うつの人は日光に当たるようにする。夏季うつの人は、逆に日光に当たらないようにするってところでしょうか。

原因がなんとなく判明したところで、来年からはもうジタバタするのをやめようと思います。

心置きなく引きこもってやろうと思います。

無理やり自分を鼓舞して立ち上がった後の反動がものすごいし。

焦れば焦るほど、自己嫌悪に陥りますから。

貴重な晴れの休みの日に、朝起きてから日が完全に暮れてしまうまで何もできなかった時には、この世から消えてしまいたくなりますからね!

 

 

そんな夏季うつチックな私でも、少し元気になれる時間帯があるんですよ。

それは夜。

特に街あかりが少なくなって、星が一層輝く時間帯。

その時だけは焦りや寂しさを感じなくて、むしろ孤独が心地よいと思えるんです。

昼間は存在がかすんでいた自分の感受性が息を吹き返すのを感じるんです。

 

 

その次に元気なのが早朝。

まだ夜が明けきらない時間帯。

夏の日差しでぐったりしていた植物たちが朝露にぬれて生命力の匂いが立ち上ってくるのを感じます。

その空気を吸い込んだら、かろうじて次の夜が来るまで耐えられる気がする。

私にとっての夏は、そんな感じで時が過ぎていくのをただひたすら待つ季節。

 

 

てなわけでワタクシ夏の昼間は廃人と化しております。

なので皆さん、ぜひとも夏は夜にお会いしましょう。