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ナースが植物と暮らしたら

植物たちに囲まれて魔女のように生きる人の日常

拾わない人

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糸杉って私にとって、ちょっぴり『死』を連想させる植物なんです。

糸杉をモチーフにしたゴッホの絵がとても暗くて怖かったからでしょうかね?(今では『死』自体のイメージは暗いものではないですよ)

 

 

突然ですが、私は職場で『拾わない人』と呼ばれています。

何を拾わないって…死を。

病棟で一番多く夜勤に入っていながら、どんなに重症の患者さんがいてもその最期の瞬間にめったと遭遇しないんです。

それどころか、私の仕事中は状態が落ち着いていて安心していた矢先、お疲れ様でしたと職場を離れて数時間後には亡くなる…なんてパターンを何度も経験しました。

それを幸運と取るかどうかは人それぞれですけど、私はどちらかというと複雑な気分でいます。

『拾わない人』ではなく『選ばれない人』なんじゃないかなって。

 

 

看護学生になって、一番初めに受け持った患者さんは前立腺がんで、骨転移のある人でした。

とても穏やかな方で、一緒に日向ぼっこをしに行くのが日課で。

骨転移のせいで腰痛があるので、温めに行ってたんですね。

病状が進むにつれて、どんどん腰痛がひどくなっていくのだけど、家族の希望によって自分の病気がガンであることも、それがさらに骨に転移していることも知らされていませんでした。

 

 

おそらく、うすうす何かを感じていたんでしょうね。

聞かれるんです毎日。

自分の病名は何なのかと。

医師や看護師にはもちろんのこと、ただの看護学生だった私にも詰め寄ることがありました。

だけど絶対に口外してはいけないんですよ。(今でこそ告知が当たり前ですけど、当時はそういう時代でした。)

本人も苦しかったでしょうが、私たちも苦しかった。

そうすると、どうなると思いますか?

 

 

孤独になるんです。

医療者も人間なので、苦しい思いはなるべく避けたい。

だからつい、その部屋から足が遠のく。

患者はひとり真実を知らされない。

誰がそばにいても疎外感はつのっていっただろうと、今なら容易に想像がつきます。

結局、何の力にもなれないまま、自分の目の前の苦しさから逃げただけの初めての実習が終わりました。

 

 

この経験は、今でもずっと心にしこりが残っていて、看護師を目指す身でありながら人間のそういう感情から逃げたという、自分に対する信用のなさ…というか何というか。

とにかく、人生の最期に立ち会う人間として『選ばれない根拠』のようなものになっているんですね。

私がいないところで患者さんがなくなる度に、やっぱりね…と。

ことあるごとに、「私は看護師に向いていない」と宣言するのも、この経験によるところが大きいと思っています。

ああ、はやく看護師から足を洗わなきゃ!

 

 

ちなみに、珍しくご指名いただいたときには、生前からの感謝の気持ちをこめてお見送りいたしておりますので、どうぞご安心くださいますようお願いいたします。(ぺこり)