ナースが植物と暮らしたら

植物たちに囲まれて魔女のように生きる人の日常

治癒

f:id:umico-mare:20160910060854j:plain

夏も終わりですね。

そろそろガウラも切り戻しの時期かな…。

 

 

ある人と会いました。

まあ、同級生の一人ですが。

 

f:id:umico-mare:20160909043156j:plain

「この言葉の羅列の中から、ピン! と来たものを選んでー」

その言葉をテーマとして語り合うという。

自分としては

「ほーん。。。。。」

って感じで、さすが毎日いろんなことをたくさん考えておる人は言うことが違うね…と何だかアホみたいな顔してボーっとその言葉の羅列を眺めていたんです。

そこにバーンと飛び込んできたのがこの言葉。

 

 

治癒

 

 

本当に浮かび上がるように見えました。

言葉のイメージってすごいです。

映像が再現される感じっていうかね。

 

 

治癒。

目に見える治癒と、目には見えない治癒。

目に見えない治癒はとても時間がかかる。

治癒とは、何もかもが元どおりに戻ることじゃない。

たった一度ぐしゃりと握りつぶした紙は、どれほど細心の注意を払って伸ばしても伸ばしても、薄く細かな痕が残る。

何もなかったことにするには、時間をさかのぼるほかない。

だけどそんなことは誰にもできないのだし、あきらめて治癒に向かう苦しい道のりを進んでいくしかないのだけれど。

 

 

認めること

受け入れること

静かな気持ちでいられること

それが目に見えない治癒なのではないかと私は思う。

そしてその長い過程において、痛いときには痛いと言い、助けが要る時には求めることが必要になる。

時間の経過という、最大の治療をもってしても、自分一人だけの力で目に見えない治癒にたどり着くのはとても難しいことなのだから。

そしてできることならば、私もその助けとなる存在のひとつでありたい。

 

 

友人によると、そんな感情のような、実体験のような、空想のような声が、自然と掻き立てられる言葉が、その人にとっての人生の命題となっているのだとか。

あの言葉たちは、ほんの一部だけれど、何かピン! とくるものがあったら、その言葉について思考や感情の流れを向けてみるのも面白いかもしれません。

ちなみに友人が掻き立てられる言葉もいくつか聞いてみたんですけど。

当然のことながら、私にとっては、それはただの言葉でしかなかったです。

 

 

さてここで問題です。

このブログ記事(タイトルも含む)の中に、『治癒』という言葉が何回出てくるでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数えてくれたあなた、ありがとう。

私のこと好きでしょう?

私もあなたが好きですよ。