ナースが植物と暮らしたら

植物たちに囲まれて魔女のように生きる人の日常

きみが涙のときには

f:id:umico-mare:20160210085240j:plain

台湾で起きた地震の被害が、日に日に報道されていますね。
被災された方々の心中はいかばかりかと心が痛みます。
地震はこの地域に生まれたものの宿命ではありますが、台湾の一日も早い復興を願ってやみません。
どうか被害が最小限でありますように。

 

私が生まれて初めて看護実習に出たその日、阪神淡路大震災が起こりました。
実習先の病院のテレビに、信じられないような映像ばかりが流れていくのを呆然と眺めていたことを覚えています。
神戸の大学に進学した幼なじみは大丈夫か? 他の友人たちは?
心配で居ても立ってもいられないのに、私はここで未だ何者でもなく、何もできずにいる。
自分には大した力もなく、できることは限られているんだという現実を叩きつけられるかのような看護師人生の幕開けでした。

 

◎自分にできることは限られている
◎死はいつ訪れても不思議ではない
このふたつを胸に刻まれたことは、私にとってとても大きな意味があったと思います。

 

同じ年の3月。
今度はこの国の首都で『地下鉄サリン事件』が起こりました。
目に見えないものに命を脅かされる恐怖。
なすすべもない大きな災害を目の前にして混乱する医療の現場。
ここから災害看護というものが、常に私の頭の隅に存在することになります。

 

実際に、災害の現場に居合わせたことはありません。
ですが震災時問題となったクラッシュシンドロームというものを知ったことで、積極的に透析看護に携わるようになったと記憶しています。
かつて透析室への異動を命じられた時には、とっさに「これは使命だ」と思いました。

 

看護教員時代、学生たちの研修旅行先として福井へ。
災害看護学会に参加するためでした。
道中、神戸にある病院にも立ち寄り、当時病棟師長だった方のお話を伺いました。
自らも被災者でありながら、がれきの中を病院まで歩いていったこと。
その道すがら出会った人たちのこと。
病棟や職員寮は大丈夫だったが、看護学生寮が倒壊し、多くの看護学生が犠牲になったこと。
時々、声を詰まらせながら語るその人も心に傷を負った一人でした。
そして学会で聴くことができた『地下鉄サリン事件』の被害者の会代表の高橋シズヱさんの講演。
彼女の医療に携わる私たちへの思いをしかと受け止めました。

 

私は知りたかったのです。
夫の最期がどんなものであったのかを。
だからどうか皆さん、記憶してください。
できれば記録に残してください。
そして残された家族の心に寄り添って支えてください。
(これは私の記憶からの文章であることをご了承ください)

 

無力を嘆き悲しむ暇なんてない。
自分にできることがあるならば、どんな小さなことでも粛々とそれを行うだけ。
そういう気概のようなものが、この国の人達にはある。
誰かを支えることによって、自らも支えられていることがある。

 

もし最悪のことが起こったら。
あなたならどうします?