ナースが植物と暮らしたら

植物たちに囲まれて魔女のように生きる人の日常

OH MY GOD

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こんにちは!

私、とある音楽アプリを利用しているのですが。

個人個人が好みのプレイリストを作成して公開して、気に入ったらお気に入りにして楽しむっていうシステムです。

んでね、そのアプリっていうのがどちらかというと洋楽に特化してて。

沢山のプレイリスト職人さん達がこだわりを持って自分好みの曲とか紹介してくれるんで、結構楽しみなんですよねー。

 

 

先日、無性に邦楽を聴きたくなり、さるアーティストのプレイリストを探してみたの。

で、見つけたんですけど。

そこについてたタイトルで聴くのやめました。

 

『とりあえず一般受けしそうな曲』

 

 

なんじゃそれ。

その余計なひとこと要る?

ぜーんぶ好きな歌ばっかりだよ。

みんなが好きになるってことは、それだけ人の心に響くってことだよ。

あーそうか。

なんだ。

この人もきっとこのアーティストが好きで好きでたまんないんだろうな。

でも正面切って好きって言っちゃうと他人からミーハーとか思われるんじゃないかとか先回りしちゃってんだろうな。

わかるよーわかる。

自分は特別って位置でいたいもんね。

 

 

でもさ、好きなもんは好きって言っちゃうほうがいいよ。

そんでもって他人様の好みにケチつけなくていいよ。

なんやかんや言ってきたって「あ、そう?」って返してればいいよ。

そんなことで自分の個性は揺らがないよ。

自分の世界は自分でしか守れないよ。

 

 

ってことなので、自分でプレイリスト作っちゃった♡

ん? リストのタイトル?

 

 

『神様、林檎様』 だよ!!!

 

 

 

 

 

 

結婚しててもしてなくても

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こんばんは。

精神科病棟の穏やかな夜です。

ただいま休憩中にブログを書いています。

 

 

今日は結婚について考えてみました。

私、かつて結婚していたことがありまして。

5年程前に11年間にわたる結婚生活に終止符を打ったのですが、元夫とは今でも仲良し。

今、3人の息子たちは全員、父親のもとで育っています。

息子を交えて全員で遊びに行くこともありますし、元夫と二人だけで会ってもお互い楽しく会話できます。

こういうことを書くと、離婚する必要があったの? とか。

何で離婚したの? とか。

子どもが可哀想じゃない? とか。

結構いろいろ.…本当にいろいろ言われました。(今でも時々)

 

 

まあ、ひとことで言っちゃうと

あなたはあなた、私は私。

ですよね。

それがいいとか悪いとかではなくて。

 

 

お互い結婚に求めるものが、致命的に食い違っていたんです。

それに気づいたので別れることにしたのです。

はい、ただそれだけです。

 

 

自分で自分の気持ちを偽って、自らの幸福感がとても低いのに子供を幸せにできるわけない。

いや、違うな。

子供に必要なのは、幸せにすることじゃなくて、幸せを感じる力を育てることなんじゃないのかな。

幸せを感じるために自分から動くこと、その姿勢をみせることが大事なんじゃないかな。

それって結婚しててもしてなくてもできることじゃない?

ただ一つ言いたいのは、何でもかんでも離婚すればいいと思ってるわけじゃなくて。

どこでどんな風に生きていても、自分の人生を充実させようとする意志があればいいんじゃないかなって思う。

 

 

だから罪悪感はもう持ちません。

なんというか、開き直りでもない。

解放感。

生きている充実感。

母親がそれを感じていることと、子供たちに対する愛情が矛盾することなく並び立っているということが伝わればいいなと切実に思う。

そんな感じです。

 

明日死ぬかもよ?

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おはようございます。

昨日、ZAGZAG(薬局です)の駐車場で軽トラのおじいちゃんに危うくひかれそうになりました。

ふーあっぶね。

うっかり「ごめーん死んじゃった☆(てへぺろ)」ってなるとこだったわ。

田舎では車を運転できないと生活がかなり不便なので、どう見ても推定年齢80後半いってるよね? って感じのプルプルドライバー率が高いのよね。

しかもあれよー。

直進の時は蠅が止まりそうなのに、割り込んでくるときの瞬間的スピード感ね。

あれは是非に都会の方たちに経験していただきたいアトラクションのひとつだわ。

うん。

 

 

あーごめんごめん。

何の話でしたっけ?

あ、そうそう、死ぬかと思ったって話でしたね。

先日、今日の記事と同じタイトルの本を友人がブログで紹介してたのね。

いいこと書いてるから、ぜひ読んでみてよ。

 

ameblo.jp

 

で、私はその時何を考えてたかというと。

看護師だからかなんかわかんないけど、自分が死ぬことはそんなに怖くないな…って思ったのね。(痛いのは嫌だけど)

あんまりやり残したことに対する執着とかもない。

それよりも何よりも愛する人たちに先立たれることのほうがもっと恐ろしい。

こんなに死に慣れちゃった私ですらそうなんだから、慣れてない人のショックは半端ないよね。

つまりは残された人の悲嘆にくれる姿を見たくないなって強烈に思ったの。

 

 

だからね、私の葬式では泣くの禁止ね。(笑い過ぎで泣くのはオッケー)

破ったら絶交。

絶対に絶対の絶交。

弔辞では私とのいちばん笑ったエピソードか一発芸を盛り込むように。

すべったら絶交。

絶対に絶対の絶交。

で、音楽は絶対流してね! 北欧JAZZとかアイリッシュ音楽とか。

照明は…昼光色の蛍光灯だけは勘弁して、マジ女の肌の敵だから。

てゆーか天気が許す限り私の庭でやってほしい。

 

 

そして私の身体がすべて灰になったら。

ダイヤモンドにしてください。(あるのよ、ダイヤモンド葬ってのが)

そして息子が海の見える場所で伴侶となる人に向かって言うのです。

息子:あ、このダイヤ俺の母ちゃん。

ヨメ:いやあぁぁーーーーーー!!!

海に投げ捨てられるママダイヤモンド(キラーン)

 

 

この一連の流れでお願いします。

完璧☆だわ。

 

 

 

 

小さくて限りなく広い

人生が人間に問いを発してきている。したがって人間は、人生の意味を問い求める必要はないのである。人間はむしろ、人生から問いかけられているものなのであって、人生に答えなければならない。人生に責任をもって答えなくてはならない。

 

ヴィクトール・フランクル
『医師による魂の癒しーロゴセラピーと実存分析の位置づけー』より

 

 

今猛烈に感動している。

人の心に興味を持ち始めて数十年が経とうとしていまして。(時間の流れが恐ろしいです)

看護師として他人の人生を垣間見ながら、自分の人生に降りかかってきた出来事に粛々と向き合ってきました。

時には自分の困難な経験すら研究対象というか、淡々とどこか他人事で眺めることもあったと思う。

心理学の本も色々読んではきたけれど、どれも小手先のテクニックしか書いていないか、あるいは非常に抽象的で現実味が感じられないかのどちらか。

だけどついに見つけた気がするんですよ。

それは。。。

 

 フランクル心理学! ずばーん!!(※効果音です)

 

 

私が経験的に到達した結論と実践してきた方法がそのまま書かれてる! と思ったよ。

そしてその考え方は人の心を救う力があるんだーって、あらためて実感した。

私と話すと落ち着く…とか、癒される…とか言われることが時々あって、それはきっとお世辞とかリップサービスの類なんだろうなと今までは思ってたけど。

もしかしたらもしかして、本当にそんな力を得ていたのかもしれないな、とほんのちょっとだけ思った。

ほんのちょっとだけね。

 

 

だからといって、他の心理学(アドラーとかね)を全否定するわけではなくって、たまたま私という人間になじむ考え方だったんだろうなと思う。

勝ち気で、負けず嫌いで、でもハートは意外と打たれ弱いっていう、結構めんどくさい人間に。

本当に弱っている人には本当に優しく。

そこまで弱ってないのに弱ってるふりしている人には少しだけ厳しく。

心身が健康な時にも自分を鼓舞してくれる。

どんなマインドも包み込むフランクル心理学。

今まではね、経験だけで何となーく薬草をブレンドしてた感じなんだけど、ちゃんと認められた治療薬のレシピを見つけたちゃった気分なんだよ。

興味がある人は、一度読んでみてほしい。

たった今、しんどくて苦しくてたまらない人ならぜひ読んでみたほうがいい。

 

 

でもね、1人の人間の存在は小さくともその精神は限りなく広く深い。

本を読んですべてを理解した気になるのが一番恐ろしい。

そこだけは気を付けないとね。

今私にしかできないことは何か?

今私を必要としている人は誰か?

人生はいつも私に問いを投げかけている。

 

 

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内省の時間です

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恥の多い生涯を送って来ました。

と、綴ったのは太宰治でしたっけ。

『存在の9割をさらけ出す人』

それがある友人から見た私の印象です。

9割ってけっこうな割合やないかーーーい!

でも妙に納得。

 

 

私は、私が直面してきた『恥』ともいうべき困難な出来事のうちのほとんどを他人にさらけ出してきました。

それはね、愚痴でも不幸自慢でも何でもないんですよね。

記憶が生々しいうちはさすがに難しいのですが、その出来事が自分にとってどんな意味があるのかって答えがなかなか見つからないとき。

他人にただその出来事が起こった時の自分の気持ちや、背景を語ることで心に灯りがともる気がしていたんです。

気づかなかったことに気づく…というか、次のステージに行くための扉を開く鍵が足元に落ちていることに気づくことがあるんです。

 

 

精神科で働いているとよく耳にするプロセスレコードのようなものなのかな。

自分の心の動きがあって、相手の心の動きがあって、人間関係=人生は構成されていくんですね。

それに気づくための内省の時間なのかもしれません。

 

 

あ、でもちゃんと語る相手は選びますよ。

私の心の問題を解決しようとしない人。

解決できると思っていない人。

そして間違っても、私に起こった出来事と、自分に起こった出来事の深刻さを競おうとしない人…ですね。

ただ、聴くだけ。

そういうことができる人って、案外少ないんです。

私も、誰かにとっての『そういう人』になりたいなと思います。

 

 

だからこれからも、私は私について語ります。

信頼のおける友人だったり、このブログだったり。

もしご不快な気持ちになった時は、ページを閉じてくださいね。

これは私のための語りですから。

あなたのための言葉ではありませんから。

そして何も求めません。

いつかあなたがしてくれたように、ただ聴いて言葉を受け止める人間になるためのプロセスだったのだと、今語ってて気づいたので。

魔女の弱点

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長くお休みしていました。

ここ数か月、『生まれてきてスイマセン』状態だったんですけど、手入れをずっと後回しにしていた玄関周りの植物たちを触っていたら、少しずつ元気が出てきました。

自分はいったい、どこを目指してんだろうっていう迷路にのこのこ迷い込んで行っちゃったんですね。

迷ってはみたものの、答えは最初から手の中に握りしめてて…結局私の人生のテーマは『癒し』『治癒』なんですよ。

その対象はだれでもかれでもってわけじゃなく、ほかならぬ自分自身だったりします。

それなのに、生まれ持った外見のおかげで『存在が癒し』とか言われて調子に乗っちゃってごめんね!って感じで。

 

私が最高に癒される場所で、自由にきままに生きていけたら。

そんなわがままをかなえるために日々生きております。

ほぼ、ほぼ、周りの皆様のお慈悲で生きております。

自分がやりたいことしかやらないっていう、ある意味非常識な生き方が、周りの人たちの保護欲求を刺激しているんでしょうか。

『なんとなくゆるされている』

『あたたかく見守られている』

そういう感覚が常にあります。(ありがとう!)

 

そんな私の目下のプランが、生まれ故郷のまちで樹木やハーブや宿根草などの植物たちに囲まれて魔女のように静かに暮らすことなわけでして。

時々そこにお酒を飲みに来てもらったり、占いを楽しんでもらったり、ただ話をしに来てもらったりできたらいいなと思っています。

ふとしたときに思い出して、なんとなく行ってみようかなと思う場所。

 

たまに、私のこのノリを苦々しく思う人がいたり面と向かって叱られたりもするんだけど、本心ではこういう人間がいたっていいじゃない?って思ってるんですよね。

快活で真面目でキッチリしたことは、そういうことが得意な人がやればいい。(あ、ナースはそれなりに真面目にやってるのでご安心を。)

ただ、こんな私でもやっぱり反省するところはあって。

人の気持ちに関してだけはいい加減に扱っちゃいけないなと思います。

 

私もそうなんですが、一人の世界に閉じこもりがちな人って、自分の心は大切に扱うわりに他人の心に無頓着になりがちなんですよね。

自分の心を大事にするように、人の心も大事にしないとただの残念な人ですから。

でも弱点に気づけば改善のしようもあるわけで。

ま、教訓を忘れては思い起こされの繰り返しになるとは思いますが、気づかせてくれる人たちが周りにいるって幸運に、今日もだた感謝なのです。

 

では、また。

 

 

 

 

毒を吐く

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ずいぶんと前からデトックスなんてものが大流行ですね。

特に女子は『デトックス』と名の付くものに目がないようで。

 

 

だけども『きれいごと』が大好きなのも、女子の面白いところ。

人間関係を円滑に進めるためには、『きれいごと』はとても役に立つらしい。

でもねえ、無理なものは無理。

きれいごとってのが、本当に苦手でね。

おまけに私は昔から人の好き嫌いがはっきりしていて、顔に出るは口にも出るわ…もうこれは性だから、あきらめていただくより仕方ないと思っております。

京女と江戸女なら、こちとら間違いなく江戸の下町気質です。

てやんでい!

 

 

まあ、こんな性格なもんで、友人も結構きっぱりはっきりした人が多いんですのよ。

突然に久しぶりに来たメールの一文目が

あいつ好かん!!!(怒)

だったりするわけですよ。

もう超気持ちいい~♡

ってなりますよね? え? ならない?

まあ確かに、これが

おまえ好かん!!!(怒)

だったりしたら、間違いなく涙目ですけどね、ええ。

 

 

でね、一番いやなのはねちねちと根に持つことと、あとから文句をいうこと。

精神衛生上もよくないので、なるべくやめたほうがいいです。

一番おすすめのデトックスはね、笑いに変えて飛ばしてやること。

ええ~、人の悪口を笑いながら言うなんて~とかいう優等生的な反応とか、いらないからね、マジで。

もちろん、意地悪く罵るんじゃなくて(それはねちねちと同じだしね)腹が立つこともむかつくことも笑い話に変えて、人を笑わせて自分も笑う方向にシフトする。

たったそれだけで、ずいぶんと心を健やかに保てます。

 

 

 

10年ぶりくらいに会った幼なじみが、自分の息子に私を紹介してくれた時の話しなんですけど、その時の言葉は、今でも忘れらんないなあ。

 

この人な、ずっと昔から友達なんや。

なんでこんなに長い間友達でおれると思う?

それはな…オモロイからや(笑)

 

そっくりその言葉、お返しします。

ちなみに『あいつ好かん!!!』メールの送り主でつ。

こんなきっぱりはっきりさっぱりした人、嫌いになるわけがない。

 

 

ま、そんな感じなので、いつでも私の前で毒を吐いてくださってかまいません。

なんなら大好物。

思う存分笑い飛ばしてやりやしょう。

これから客商売をしようかって人間が、こんな感じで大丈夫かなって思うこともあるんですけど。

まあどうにかなるでしょ~。

敵もたまーにいるけど、皆さまよくしてくださって…本当いつもありがとうございます。

たぶんね、なにしでかすかわかんないから、ドキドキさせてんじゃないだろうか。

ある意味、保護者の会つーか。

 

 

いつか、保護者の会の皆様が安心できる日が来ますように…合掌。

あ、あんまりドキドキするなら、それ病気だから。

病院行ってね♡

おやすみなさい!

 

 

 

拾わない人

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糸杉って私にとって、ちょっぴり『死』を連想させる植物なんです。

糸杉をモチーフにしたゴッホの絵がとても暗くて怖かったからでしょうかね?(今では『死』自体のイメージは暗いものではないですよ)

 

 

突然ですが、私は職場で『拾わない人』と呼ばれています。

何を拾わないって…死を。

病棟で一番多く夜勤に入っていながら、どんなに重症の患者さんがいてもその最期の瞬間にめったと遭遇しないんです。

それどころか、私の仕事中は状態が落ち着いていて安心していた矢先、お疲れ様でしたと職場を離れて数時間後には亡くなる…なんてパターンを何度も経験しました。

それを幸運と取るかどうかは人それぞれですけど、私はどちらかというと複雑な気分でいます。

『拾わない人』ではなく『選ばれない人』なんじゃないかなって。

 

 

看護学生になって、一番初めに受け持った患者さんは前立腺がんで、骨転移のある人でした。

とても穏やかな方で、一緒に日向ぼっこをしに行くのが日課で。

骨転移のせいで腰痛があるので、温めに行ってたんですね。

病状が進むにつれて、どんどん腰痛がひどくなっていくのだけど、家族の希望によって自分の病気がガンであることも、それがさらに骨に転移していることも知らされていませんでした。

 

 

おそらく、うすうす何かを感じていたんでしょうね。

聞かれるんです毎日。

自分の病名は何なのかと。

医師や看護師にはもちろんのこと、ただの看護学生だった私にも詰め寄ることがありました。

だけど絶対に口外してはいけないんですよ。(今でこそ告知が当たり前ですけど、当時はそういう時代でした。)

本人も苦しかったでしょうが、私たちも苦しかった。

そうすると、どうなると思いますか?

 

 

孤独になるんです。

医療者も人間なので、苦しい思いはなるべく避けたい。

だからつい、その部屋から足が遠のく。

患者はひとり真実を知らされない。

誰がそばにいても疎外感はつのっていっただろうと、今なら容易に想像がつきます。

結局、何の力にもなれないまま、自分の目の前の苦しさから逃げただけの初めての実習が終わりました。

 

 

この経験は、今でもずっと心にしこりが残っていて、看護師を目指す身でありながら人間のそういう感情から逃げたという、自分に対する信用のなさ…というか何というか。

とにかく、人生の最期に立ち会う人間として『選ばれない根拠』のようなものになっているんですね。

私がいないところで患者さんがなくなる度に、やっぱりね…と。

ことあるごとに、「私は看護師に向いていない」と宣言するのも、この経験によるところが大きいと思っています。

ああ、はやく看護師から足を洗わなきゃ!

 

 

ちなみに、珍しくご指名いただいたときには、生前からの感謝の気持ちをこめてお見送りいたしておりますので、どうぞご安心くださいますようお願いいたします。(ぺこり)

 

 

 

 

治癒

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夏も終わりですね。

そろそろガウラも切り戻しの時期かな…。

 

 

ある人と会いました。

まあ、同級生の一人ですが。

 

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「この言葉の羅列の中から、ピン! と来たものを選んでー」

その言葉をテーマとして語り合うという。

自分としては

「ほーん。。。。。」

って感じで、さすが毎日いろんなことをたくさん考えておる人は言うことが違うね…と何だかアホみたいな顔してボーっとその言葉の羅列を眺めていたんです。

そこにバーンと飛び込んできたのがこの言葉。

 

 

治癒

 

 

本当に浮かび上がるように見えました。

言葉のイメージってすごいです。

映像が再現される感じっていうかね。

 

 

治癒。

目に見える治癒と、目には見えない治癒。

目に見えない治癒はとても時間がかかる。

治癒とは、何もかもが元どおりに戻ることじゃない。

たった一度ぐしゃりと握りつぶした紙は、どれほど細心の注意を払って伸ばしても伸ばしても、薄く細かな痕が残る。

何もなかったことにするには、時間をさかのぼるほかない。

だけどそんなことは誰にもできないのだし、あきらめて治癒に向かう苦しい道のりを進んでいくしかないのだけれど。

 

 

認めること

受け入れること

静かな気持ちでいられること

それが目に見えない治癒なのではないかと私は思う。

そしてその長い過程において、痛いときには痛いと言い、助けが要る時には求めることが必要になる。

時間の経過という、最大の治療をもってしても、自分一人だけの力で目に見えない治癒にたどり着くのはとても難しいことなのだから。

そしてできることならば、私もその助けとなる存在のひとつでありたい。

 

 

友人によると、そんな感情のような、実体験のような、空想のような声が、自然と掻き立てられる言葉が、その人にとっての人生の命題となっているのだとか。

あの言葉たちは、ほんの一部だけれど、何かピン! とくるものがあったら、その言葉について思考や感情の流れを向けてみるのも面白いかもしれません。

ちなみに友人が掻き立てられる言葉もいくつか聞いてみたんですけど。

当然のことながら、私にとっては、それはただの言葉でしかなかったです。

 

 

さてここで問題です。

このブログ記事(タイトルも含む)の中に、『治癒』という言葉が何回出てくるでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数えてくれたあなた、ありがとう。

私のこと好きでしょう?

私もあなたが好きですよ。

 

 

 

 

夜にお会いしましょう

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あああ、やっと涼しくなってきましたね。

朝夕の空気がひんやりとしていて、生きた心地というのはこういうことかと感じます。

コレ、大げさな表現でもなんでもなく、私が毎年この時期に感じること。

もう何年前からかも忘れてしまいましたが、ずうっと昔から夏になると気分がとめどなく落ち込みます。

明らかな原因がないにもかかわらず、です。

日常生活やお仕事に支障をきたすほどではありませんが、常に無気力で気分が塞いでいるというのは結構しんどいもの。

 

 

最近になってやっと『夏季うつ』というものが知られるようになってきたみたいですね。

一般的に、季節性感情障害(季節性うつ)は冬季に発症することが大半なんですけど、まれに夏に発症することもあるようです。

まあ症状が季節限定で、自然寛解の経過をたどることがほとんどなので、あまり心配はいらないと思いますが、毎年同じ時期に気分の落ち込みがある方は、症状を軽くするような生活を送ることをオススメします。(超ざっくりいうと、冬季うつの人は日光に当たるようにする。夏季うつの人は、逆に日光に当たらないようにするってところでしょうか)

と、原因がなんとなく判明したところで、来年からはもう、ジタバタするのをやめようと思います。

心置きなく引きこもってやろうと思います。

無理やり自分を鼓舞して立ち上がった後の反動がものすごいし。

焦れば焦るほど、自己嫌悪に陥りますから。

貴重な晴れの休みの日に、朝起きてから日が完全に暮れてしまうまで何もできなかった時には、この世から消えてしまいたくなりますからね!

 

 

そんな夏季うつチックな私でも、少し元気になれる時間帯があるんですよ。

それは夜。

特に街あかりが少なくなって、星が一層輝く時間帯。

その時だけは焦りや寂しさを感じなくて、むしろ孤独が心地よいと思えるんです。

昼間は存在がかすんでいた自分の感受性が息を吹き返すのを感じるんです。

 

 

その次に元気なのが早朝。

まだ夜が明けきらない時間帯。

夏の日差しでぐったりしていた植物たちが朝露にぬれて生命力の匂いが立ち上ってくるのを感じます。

その空気を吸い込んだら、かろうじて次の夜が来るまで耐えられる気がする。

私にとっての夏は、そんな感じで時が過ぎていくのをただひたすら待つ季節。

 

 

ワタクシ夏の昼間は廃人と化しております。

なので皆さん、ぜひとも夏は夜にお会いしましょう。